ジーコ
(Zico)
1953年03月03日

本名:アルトゥール・アントゥネス・コインブラ
(Arthur Antunes Coimbra)

 日本の現代表監督として有名なジーコ、現役時代は、芸術的はスルーパスとフリーキックで観客を魅了したペレと並ぶ、ブラジルの国民的英雄。 「Zico」とは「やせっぽち」の意味。

 ブラジルの名門にして、リオデジャネイロの人気チーム「フラメンゴ」のエースとして君臨、
ホームスタジアムから「マラカナンの英雄」と言われた。ブラジルサッカー界の英雄ペレになぞらえ「白いペレ」とも呼ばれていた。

 ワールドカップでは、1978年、82年、86年の3大会に出場、特に1982年のスペインワールドカップでは、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾと「黄金の中盤」を構成、今も「ブラジルサッカー史上最も魅了したチーム」と称えられる。ただ、このチームには絶対的なエースストライカーが居なかったのが残念。同じ頃、活躍したフランスの将軍「プラティニ」とは、同じ10番にして、ファンタジスタ、エースにして、同時期にセリエAで活躍した点でも、真のライバルである。

 1982年のアルゼンチン戦、イタリア戦、1986年のフランス戦のスルーパスは、今でも、伝説化されている。ジーコにとって、唯一にして最大のタイトルであるワールドカップを獲得できなかったのは、不幸としか言いようがない。

 1982年のイタリア戦は、未だにワールドカップ史上最高の対戦と言われ、パオロ・ロッシのハットトリックとジーコのプレイは、1982年大会の伝説である。FW顔負けの得点能力も保持し、PKも滅多に外すことは無かった。生涯ゴール数826ゴールは、ブラジルでは、ペレ、ロマーリオの次に多い得点である(?)

 1981年のトヨタカップでは、イングランドのリバプールと対戦、自軍の3ゴール全ての起点となり、MVPに輝いた。その際、MVP副賞の日本車を長期に渡り愛車にしている事は有名。ちなみに愛車は1981年型トヨタセリカXXで1986年に製造中止され年月が経つ上、さらに当時ブラジルは外貨流出を防ぐために外国車(完成車)の輸入を禁止していたこともあって、現在南米における稼働車としては超がつく希少車。というよりはジーコの所有車一台のみの可能性が高い。副賞の自動車が外交問題になりはしないかと大会関係者は心配したが、ジーコは「大統領に電話するから」と言ってあっさり輸入許可を得て、この車を持ち帰った。ジーコの影響力を示すエピソードのひとつである。


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