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ドラガン・ストイコビッチ
(Dragan Stojkovic)
1965.03.03
(旧ユーゴ)
マラドーナを破ったユーゴの10番

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 時に政治は人の運命を大きく変える力を持つ。ドラガン・ストイコビッチは、90年代世界最強と言われた旧ユーゴスラビアの10番を着け、才能溢れる仲間達と頂点を目指すことが出来たはずだった。

 ゲームメーカーもしくは、フォワードとして活躍、ボールコントロール、パスセンス、フリーキックに到るまで、ヘディング以外の能力において、人を魅了するプレイを見せた。代表では、当初、準エースナンバーである「7」を付けていたが、(90年W杯欧州予選のアウェーフランス戦で代表10番デビュー)から2001年に引退するまで、サッカーにおけるエースナンバーである背番号10を背負いキャプテン(初キャプテンは89年の親善試合のギリシャ戦)を務めた。

 10番へのこだわりは凄まじく、ACミランで10番を背負っていたサビチェビッチ、レアル・マドリードの10番であったプロシネツキも10番はストイコビッチに譲っていた。

 サビチェビッチとプロシネツキは、レッドスター・ベオグラードで同僚として活躍し、オランダトリオを擁し、ヨーロッパ最強と称されたACミランとチャンピオンズカップで対戦し、惜敗したものの、死闘を繰り広げた。

 1990年のイタリアワールドカップでは、準々決勝でマラドーナ率いるアルゼンチンとPK戦に突入する激戦を繰り広げ、敗北に突っ伏して泣くストイコビッチにマラドーナは「泣くんじゃない。君はこれからの選手なんだ」と声を掛けたという。

 しかし、1991年から始まったユーゴスラビア内戦による。FIFAの制裁措置によって、EURO1992、そして、ワールドカップアメリカ大会に出場できず、最も活躍できる時期を政治によって、奪われてしまった。特にEURO1992は、大会10日前にFIFAの制裁措置が発動し、尚かつ、当時のユーゴスラビアは優勝候補の筆頭だった。

※ニックネームの「ピクシー」(Pixy、Piksi)の由来は、その美しく華麗なプレーぶりからつけられたとする説もあるが、実際は子供のころ大好きだったアニメ「ピクシー&ディクシー」に由来するというのが本来のところである。 


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