マリオ・ケンペス
(Mario Alberto Kempes)
1954年07月15日

 

 アルゼンチンのサッカー選手では、マラドーナの次に有名な選手と言っても良い選手。
 その華麗な風貌とプレイスタイルから「エル・マタドール(闘牛士)」と称された。
 アルゼンチンの10番をマラドーナの前に付けていた選手。
 1976年にスペインのバレンシアに移籍すると、2年続けて得点王に輝き、バレンシアを。スペインカップ2回、欧州カップウィナーズ2回、欧州スーパーカップ1回の優勝を果たし、バレンシア最高のFWと呼ばれている。

 1978年、ワールドカップが母国アルゼンチンで開催される。アルゼンチンの代表チームにとって、優勝が至上命題と言っても良かった。その中でケンペスは、唯一、国外でプレイする選手として参加する。マラドーナは若さを理由に代表入りを見送られ、アルゼンチンのエースはケンペスだった。

 アルゼンチンは、一次リーグでイタリアに敗れるものの、ハンガリーとフランスを下し、二次リーグへ駒を進める。しかし、ケンペスは得点を決めることが出来なかった。得てして、このような状況の選手は、得点王になるのかもしない、1982年のロッシも一次リーグでは無得点だった。
 二次リーグになり、ポーランド戦で2得点を挙げ、ポーランドを破ると、ブラジルと引き分け、ペルーを大差で破ると、決勝戦の相手は、オランダだった。

 1978年06年25日アルゼンチン対オランダの一戦は、白熱した好ゲームとなり、延長戦突入、その延長戦でケンペスは自慢の力強いドリブルから、オランダ守備陣を貫くと、2−1となるゴールを決める。その後、アルゼンチンは1点を加え、3−1でオランダを下し、アルゼンチンは初めての優勝を遂げる。その中で、ケンペスは、オランダ戦の2ゴールを含めて、6ゴールを決め、大会の得点王となり、初代MVPにも輝いた。

 オランダ戦で2−1となるゴールを決めた後、ケンペスは自らボールを持つと、主審へ渡している。フェアプレーに徹し、代表戦で一度もカードを受けなかったケンペスらしいエピソードある。

 アルゼンチン代表として、43試合に出場して、20ゴールを記録している。


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